一般財団法人 瑞陵高校助成基金は、瑞陵生の学びを深めるための支援を行っています。

ITF2014日程別_03_b

日程別レポート  8月1日(3日目)その2

 このページは参加生徒の分担による「一周年記念海外学習の記録」を元にしています。必ずしも日程毎にはなっていませんが、生徒達がたどった道筋の記録です。ご覧いただけますと幸いです。各項目のクリックで該当ページに移動します。間違い等は、お許しください。

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ナポリ・ポンペイで学んだこと(ポンペイ遺跡・国立考古学博物館)

 
 私たちは8月1日にナポリにある国立考古学博物館とポンペイ遺跡の見学をしてきました。ここでは現代の人でも使えそうなものや、古代の人々が作り上げたとは思えない技術・工夫が多く見られました。ここではポンペイ遺跡について紹介したいと思います。

 ポンペイとはイタリア・ナポリの近郊にあった古代都市です。79年のヴェスヴィオ火山の大噴火による火山灰で埋まったことで知られています。ネオ・ポリス(新たな町)⇒ナポリと訛ったのが語源です。
 
 ポルタマリーナとは都市への入り口で、歩行者用と馬車用の入り口があります。現在は陸地ですが、昔はこのポルタマリーナの目の前に海があり、船から荷物を馬車に乗せ直接ポンペイへと運んでいたようです。さらにそこから中へ進むとしばらくは舗装された道が続いており。ここでも歩道とは別に馬車道が併設されていました。

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 右の写真は、ベスヴィオス火山の火山灰で亡くなった人の石膏像です。白い部分は骨です。灰を防ごうと腕で顔を覆う像もあり少し前まで動いていようなポージングでした。火山が予期しないタイミングで噴火したのがよく理解できました。

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 英語ではフォーラムと言い、集会や討論会が開かれていました。広場のようになっていて、今も残っている柱は一度地震で壊れたものを立て直しているためいろいろな柱がまざっています。

 ポンペイには2000年前の大浴場が今も残っています。浴場の入り口は壊れにくいアーチ状になっていて脱衣所や浴室、サウナや水浴び場が比較的きれいな状態で残っていました。脱衣所の壁には美しいフレスコ画が描かれていて、冬場の寒さをしのぐために温風の出てくる穴が壁の上についていました。浴室の壁や天井もフレスコ画や彫刻などでおおわれていてとてもきれいでした。そしてサウナ室の壁は2重構造になっておりそのスキマにしたから水蒸気を流して床暖房のように部屋全体を暖めていたそうです。サウナ内には水浴び用の大きな大理石の盆があり、その枠には色とりどりの大理石が文字の形に埋め込まれていました。

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 ポンペイの民家の玄関には歓迎の言葉やきれいな模様がモザイク画でつくられていました。裕福な家には部屋一つ分ほどのスペースにモザイク画が飾ってあり、と思っていた以上に現在の生活に近いものがあって驚きました。入口にある「HAVE」の文字は、「ようこそ、いらっしゃいませ」つまり、来客を歓迎している、という意味だそうです。貴族たちは、同じ貴族から奴隷まで関係なしに招き入れもてなしたそうで、とても心が広かったようです。

 店は魚店、肉屋の跡地やパン屋などもありました。中でも印象的なのはカウンターのような売り場があったことと、かまどの形は2000年前と変わっていないということです。ポンペイ内には食料を入れていたと思われる壺やパンを焼くかまどがいくつもありました。飲食店の跡地もあり、「TABERNA」と書いてありました。これはレストランや飲食店を指す言葉です。

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 ポンペイの町に残っているものは2000年前のものとは思えないほどきれいでした。なぜかというと大量の火山灰が降ったからです。上にも書いたようにヴェスヴィオ火山の噴火でポンペイの町は3日で火山灰や火砕流におおわれてしまいました。建物や道路はもちろん、人も埋まってしまい灰がカバーの役目をしたため人の遺体や食べ物もそのままの形で残っているそうです。

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 道路だけでなく、快適な環境にするための工夫が見られました。上水道が通っており、公共用の水汲み場が残っていました。パイプには鉛が使われており、とても安全とは言えませんが、水道が利用できるのは現代と変わりありません。また、夏の暑い際に、地下から吹いてくる涼しい風を地下から回して、所々に繋がっていました。冷房の中にいるくらい気持ちよくて感動しました。

 ポンペイの人々はもっと原始的な生活をしているかと思っていましたが、道路や建物のつくりなどは今とそんなに違いはないように感じました。2000年も昔の町とは思えなくてとても驚きました。と同時に日本での生活とも比較してみたいと感じました。これをきっかけに日本の遺跡のことも知っていきたいと思いました。

国立考古学博物館には、火山灰に守られた絵画や物品が数多く展示されています。

 ここには、ファルネーゼ家のコレクションと、多くの出土品が飾られています。ファルネーゼ家ゾーンでは主に石像が多くありました。どれも2mを超える大作ばかりで、見上げてばかりいました。

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        ↓  修復・復元
 

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 2階には遺跡から見つかったものが展示されていて、絵画と生活雑貨が目立ちました。ここにアレクサンダー大王が描かれた壁画の本物が展示されていました。(本物は)損傷がひどいので、復元されたものもありました。
 ポンペイ遺跡内の「牧神ファウヌスの家」に飾ってありましたが、塗料が剥がれ落ちてよくわかりませんでしたが、復元図を見ることができてよかったです。画面左側にアレクサンダー大王が確認できます。

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 風景画は少なく、フルーツや動物、想像上の生き物の絵が多くありました。絵画というよりは、装飾品といったほうがふさわしいのかもしれません。モザイク画の中に骸骨が描かれたものをいくつか見つけました。当時、骸骨は平等の意味があり、「死んだあとは貴族も奴隷も同じ骸骨になる」という願いがこめられたそうです。左側はきれいな布=貴族、右側はぼろぼろの布=奴隷、それらが天秤で釣り合っているのが描かれています。昔から、人は皆平等であるという考えがあったことに、人間の普遍さを感じました。

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 保存状態のいいものばかりが揃っていて、ガラス製品・食器・調理器具がガラスケースにずらっと並べられていました。ざるのような、水を切る道具のほかに、カステラを作るものまで、今でも使えそうなものがあって驚きました。ただ、どれも重たそうなものばかりで、使い勝手はよくなさそうでした。

 展示室奥のほうには、ポンペイ遺跡のミニチュアと、異様な形のお守りがありました。当時、男性のシンボルは子宝に恵まれる象徴として大切にされていたそうです。見ていて少々戸惑いを感じました。

 事前に写真で見ていた時には、建物大きさであったり、町の広さだったり、実感の湧かないところがいくつもありました。実際に歩いて回ったことで、道路が整備されていたり、快適に暮らせる工夫が施されていたりと、あっと驚く発見が多くありました。すでにこの時代には、現代とあまり変わらない生活をしていたポンペイの人々の頭の良さに感動しました。



  続きは、日程別 8月2日分(その1)をご覧ください。   : ↑このページのトップへ  /  財団のトップページへ